ぼくの浅野選挙総括メモ 鹿島拾市 2007年5月29日(火)
| (まっぺん注)これは私と同じく、浅野選挙の総括の中から、今後の運動の方向性を探っていこうとするために提起された文章である。本人は「レジュメ未満」と言っていたが、私はこの短い文章の中に、私よりも遙かに優れた視点からの評価の確かさを感ずる。そこでぜひにもとお願いし、ここに掲載させていただいた。私の文章とのもっともおおきな違いは、有権者との「間合いの近さ」にある。現場になかなか出られなかった私の文章は、どうしても高い所から全体を見渡した「政治主義的意見」となってしまう。おそらくそれはそれで必要だとは思っている。しかし、鹿島さんの文章には選挙の「最前線」で動いていた者だけが発することのできる「都民との距離感の近さ」、臨場感があり、そこから提案される実践的で戦術的な意見には「手応え」が感じられる。これは現場での有権者の在りようを映し出しており、今後の運動を構築していく上で注目し、参考にしていく価値があると思う。 |
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この選挙のひとつのキーワードは「現実」だった。
下北、都立高校など、現実に石原に苦しめられてきた人々が、現実に勝てる候補として浅野さんを選んだ。その選挙過程においても、存在を否定されている人々という「現実」から、参加者、怒り、迫力を汲み出した。「護憲」「平和」といった「観念」から出たものではないことに留意すべき。私たち自身を無前提に「市民派」と形容してしまうとき、この差異が忘れられてしまわないか。
もうひとつのキーワードは「エンパワーメント」。3月17日にロフトプラスワンで開かれた「新宿から石原都政を倒そう」集会や、3月25日の「勝手連大集合」集会などよい例だが、存在(現実)を否定されている様々な層の「私はここにいる」という叫びを共有することがエネルギーになった。浅野さん自身が、そうした志向性を強くもっていたということもある。「誰もが誇りをもてる東京」というスローガンってものすごいラジカル!ふつう政治スローガンで「誇る」対象は「郷土」や「国家」だろう。ここでは「自分」になっている。(続きを読む)
今後の展望に向けて まっぺん 2007年5月28日(月) (1)なぜ負けたのか
我々の選挙は「市民が自ら候補を立てて闘った」選挙であった。そして、4年前に樋口敬子さんへの投票を呼び掛けて闘った時よりも、我々は確かに前進した。それは間違いない。二つの意味でそう言えるだろう。第一に、市民が主体となって作られたネットワークが「財産」として残った事である。第二には前回の二倍の得票を獲得できたことである。しかし、それにもかかわらず、深刻な総括をしなくてはならない。我々は石原派との「争点」において勝てる展望を持っていたのだろうか? 残念ながらそれについては悲観的と言わざるを得ない。いま振り返ってみると、われわれの選挙は「勝てる選挙」ではなかったのではないか。同種の批判はすでにいくつか上がっている。我々はそれを率直に受け入れ、考え、「次には勝つ」ための戦略を練らなければならないと考える。
●佐々淳行の総括
敵側の選対委員長であった佐々淳行は雑誌『諸君!』において、今回の「石原対反石原」の対立軸を「『日米安保賛成』対『反対』、『改憲派』対『護憲派』、『日の丸・君が代賛成』対『反対』、『国民』対『市民』、
『安心安全』対『福祉』、『トップダウン』対『ボトムアップ』、『タカ派』対『ハト派』等々」…と捉えている。佐々の指摘は我々とちょうど真反対から争点を捉えていて的確である。しかし、それは「争点」ではあっても、その争点において「どちらに投票すべきか」の都民の判断の根拠を分析した事にはならない。我々に提示されている課題は「なぜ都民は後者を選択しなかったのか」である。提示されたそれらの争点において我々は本当に闘えたのだろうか? またそれらの争点を本当に都民の前に提示し得たのだろうか?
●三浦小太郎氏の総括
同じ視点からさらに踏み込んで提示しているのが三浦小太郎氏である。都民の多数派は、弱者(あるいは負け組)=マイノリティの立場に立とうとする浅野氏に対して、強者(勝ち組)=マジョリティの立場から石原を選択した。これは必ずしも「自分の立場」とは限らない。「弱者」でありながら「強者」の立場を選択した者も多い、と三浦氏は指摘する。少数派の立場に立とうとする立場はマジョリティからみれば「他人事」であり、「偽善」に通じる。都民の多数派は、それよりも石原の中に見る「エゴイズム」を、むしろ人間的本音ととらえ、「自分の立場」として選択したのである、というのが三浦氏の見方である。
(2)歴史的総括
●不況と野蛮の1930年代
今日の経済状況と、それに対する国家の指導者たちの対応の仕方の中に、70年前の日本との共通点を見出す事ができる。日本経済が一人勝ち状態だった80年代の70年前は第一次世界大戦期であった。戦場とならなかった日本は他の諸国からのシェア獲得と軍需物資生産とで好景気の中にあった。しかし、その時期に生まれた多数の企業は、数年間の短い戦争バブルが過ぎると次々と倒産し、それは日本経済全体を包み込む大型金融倒産へと発展した。そこに関東大震災が追い打ちをかけ、日本経済は永い停滞時期に入ったのである。そしてそのまま、「金の解禁」という最悪のタイミングで世界恐慌を迎える事になった。この国内的危機は、不況にあえぐ国民に対外侵略を煽る口実となった。「危機の打開」を口実として大陸への軍事侵略が開始されるのである。
●再び「野蛮」の時代へ!
今日の経済の流れはどうだろうか。80年代、世界経済の低迷の中で唯一、日本だけが好景気を享受していた。だぶついた資金は土地価格の上昇をもたらしたが。90年代に入るや土地バブルの崩壊を起こし、日本は戦後未曾有の景気停滞期にはいった。株価を経済指標とした当時の日本の経済的価値は、僅か10年で10分の1以下に転落したのである。アメリカがITバブル期に入った後も日本経済は低迷を続けた。レーガノミクス・サッチャリズムを受けた民営化と新自由主義政策は、不況の打開策として2000年の世界同時不況以降ますます強化・拡大され続けている。もちろん70年前の日本の経験をそのまま敷衍し、今後の日本が70年前と同じ軍事侵略をするわけではないが、経済的「本質」において日本は70年前と同じ道を進みつつある。経済競争の激化を通して国内・国外の庶民を食い物にする道である。(続きを読む)
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