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浅野選挙総括<1> 投稿者:まっぺん 投稿日:4月12日(木)17時02分55秒 以下は、主に共産党系吉田万三候補支持者からの浅野候補批判に答えるために書いた総括です。 (1)浅野氏が保守陣営であることについて 本来なら自分たちが思想的あるいは政治的に一致できる人物を推すのがいちばんですが、残念ながらそう都合のいい候補はいません。そこでそれぞれの思惑を持って我々はいろいろな候補を推すしかありません。その際、「絶対譲れない線」として何を求めるのか、が重要であると思います。浅野氏が、経歴からも、広島選挙で保守派を応援した事からも保守陣営に位置するのは明らかです。しかし保守といってもいろいろな人がいて、政治性ですっぱりと切り分ける事はできません。右派にも左派にも石頭もいれば柔軟な人もいます。保守であろうとも、その人物がこちらの目的に沿って有益に動いてくれればいいのです。民衆はその成果によって力を獲得できます。またどんな人物が応援しているかによって支持・不支持を決めるべきだとは思えません。トロツキーは自らに暗殺者を送りこんで来るようなスターリンの支配するソ連防衛を訴えたのです。国際政治力学からいって、それが帝国主義に対抗するために必要だと考えたからでした。 (2)大型公共事業による浪費について 宮城での実態がどういうものか分からないのでパスします。ただ、「宮城ではこうだったから東京でもこうなるだろう」と断定すべきではないと思います。そうなるかどうかは、本人の姿勢と支持者の動向によって左右されます。浅野氏が最初に市民からの要請によって出馬を決めた時には、まだオリンピック誘致にも、築地市場移転にも、日の丸君が代強制にも、平和憲法にも確答を避ける曖昧な態度でした。しかし選挙に向かって歩みを進め始めると共に、徐々にこれらの問題についても石原との対決姿勢を見せるようになっていった事に注目するべきでしょう。そうなったのはなぜか? 浅野「夢らいん」ホームページで支持者からの「ひとことマニフェスト」の投稿を奨励していたからです。つまり「市民の声を聴いて政策を決定しよう」というニュートラルな姿勢があったから、支持者の要望にしたがって浅野氏の石原への対決姿勢がどんどん深化していき、ここまで闘えたのです。それを左から引っ張ったのは「勝手連」を立ち上げたたくさんの市民でした。なお、マニフェストの中では、大型公共事業以外の形での福祉の充実を、浅野氏は提唱しています。 (3)宮城県知事時代の財政赤字拡大について 以前にも書きましたが「赤字の事実」だけを取り出して批判する事には賛同できません。資本主義経済下の県財政は、国庫からの収入と県民や企業からの税収によって運営されます。国庫も国税からの収入ですから、収入額は納税者の所得、つまり資本主義経済の変動にそって上下します。しかし収入に見合った支出によって運営すればいいとは限りません。福祉その他税収以上に必要な支出によって、やむを得ず財政が赤字になる場合もあります。また将来の経済発展によって返済する事を前提として、現在は赤字になっても支出するべきところに支出するというのは、ケインズ経済学を持ち出すまでもなく、今日の資本主義経済においては常識となっています。また、「金額」だけで判断する時に陥る危険についても指摘しておかなければなりません。例えばですが、超豪華な車いすを数十個買うより普及型の安いものを千個買う方が有益であると考えられます。予算をどう使っているのかも含めて検討するべきなのではないでしょうか。その点では経理をクリーンにし、そのために宮城県警と対決した浅野氏の姿勢は注目に値します。 (4)宮城県の“実績”は自民政治そのものか? 浅野氏は「保守」の立場と言っていいでしょう。しかし、すでに指摘したように、浅野氏は実践的にモノを見る人であり、そうであるからこそ、今回の選挙では市民の要求を受け入れていった結果、あのようなマニフェストの深化と、石原との対決姿勢の強化が見られたのです。だから「自民党政治そのもの」という共産党「赤旗」の批判は、根拠が全くないとは思いませんが、いくら何でも行き過ぎです。また、そもそも共産党の今回の都知事選における浅野批判は、「石原よりも浅野」をライバル視した「選挙戦略」から生まれてきた不純な動機によるものであったと考えています。それは、都民全体に呼びかけて反石原世論を作り出す行動よりも、石原に対抗する「左派」が結集していると見られる浅野陣営を批判する事を優先し、その事で「浅野票」を奪おうとした「内ゲバ」的発想からの戦略であるからです。共産党のこうした視野の狭い戦略は今に始まった事ではありませんが、こうした態度が共産党への支持を拡げる事を妨げているではないでしょうか。 (5)先に出馬表明した人に降りろと言うのは非常識か? 石原都政にいやけがさし、これを何とかしなければならないと、多くの人が考えていましたが、それを早くから行動に移していた人々がありました。それが「東京。をプロデュース2007」(以下「東プロ」)という市民のグループです。彼らは2年も前から様々な人々や団体に呼びかけ、統一候補擁立をめざしてきました。共産党や革新都政をつくる会にも何度も足を運び、昨年11月には共産党を始めとする各党出席のシンポジウムを開くまでにこぎつけました。また3月9日の「ハートに火をつける会」集会は、実は事前まで吉田氏も出席の可能性を残したものであり、事前に吉田氏に打診して当日の予定を空けていただいていたのです。このあたりの事情は「宿六」さんがAMLに投稿していますから参照してください。また、この「東プロ」の呼びかけによって市民の自発的な運動も加速していったのです。しかし、共産党はそうした動きを無視して単独の候補擁立に踏み切り、以後は「東プロ」側の呼びかけにもまったく応じる事はありませんでした。「統一候補擁立」は吉田氏の立候補以前から共産党に対して働きかけられていたのです。 (6)浅野氏は正真正銘「民衆の候補」であった 浅野氏は一旦は民主党に立候補を要請され、辞退しました。またその時、「誰に要求されても立たない」と拒絶しました。その時には我々は半信半疑で、それでも諦められないのでとにかく要請しようと、何度もアタックし、2月25日に市民(およそ400人)が集まって八重洲ホテルで要請の集会が開かれたのです。あの時から流れが変わりました。「市民の意志」を浅野氏は受け入れてくれたわけです。というより、そのような市民的な意志を持った運動でなければ石原に対抗して闘うことはできなかったでしょう。穿った見方をすれば、実はそれが「民主党による作戦」だったのかも知れません。しかし、そうであったとしても、この時から流れが変わり、「勝手連」が続々と声をあげ始めました。「この事実」が重要なのです。「市民が自主的に声を挙げた」事によって浅野候補は、特定政党ではない「市民の候補」として運動する事ができたのです。またその運動期間中、勝手連を通じた市民の活性化に貢献する事ができました。今回は負けましたが、市民の新しい結集体を創出する事ができました。今後の運動の発展に向けた小さな「タネ」を我々は獲得したのです。 |