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浅野選挙総括<2> 投稿者:まっぺん 投稿日:4月14日(土)20時43分16秒 選挙結果を評論家的に議論する傾向に対して「行動した者」の立場からの総括を提示します。 (1)我々はどんな視点から総括するべきか 今回の選挙において我々が求めたのはいったい何だったのでしょうか? 都知事選を通じて我々は何を獲得しようとしたのでしょうか? それを考える時、いまさらのように「石原と浅野とどっちがどっちよりマシか」といった議論のありかたに空しさを感じます。行動に立ち上がった皆さんに申し上げたいと思います。そんな議論をするのは無駄であると。まず論点を整理していく事の中から、都知事選が我々に突きつけた課題は何だったのか、我々はどんな気持ちで行動したか、そしてそこから我々が得たものは何だったのかを把握していく事が重要なのではないか、と思います。行動した者たちの視点は、客観的な評論家の視点とは違っていて当然です。我々にとって重要なのは行動した者だけが見る事のできる視点から総括をしていく事です。 (2)重要なのは対決軸となる「焦点」である 冷静に考えれば、浅野氏のこれまでの経歴や宮城県知事としての実績から、浅野氏は思想的に我々と同一とは到底言えませんし、吉田万三氏ほどに断固とした方向性をもった政策を打ち出していたわけではない事も確かです。しかし、浅野氏は柔軟な頭を持ち、支持者たちがどんな政策を自分に求めているのかを敏感に察知し、それに応じて徐々に石原との対決姿勢を深めていきました。選挙において大事なのは、「何が焦点なのか?」です。人々に「何を基準に投票させるのか」が重要です。その基準点において誰と誰が最も鋭く対決しているのかを知らしめ、その基準に向けて「イエスなら石原、ノーなら浅野」という対決軸を打ち出す事で焦点がはっきりし、それを理解した有権者は自分の意志をもって投票できるようになるのです。 (3)では争点は鮮明に有権者に浸透したか? その対決軸をはっきりさせるために、各候補が出す「マニフェスト」があります。またそのマニフェストに関わる様々な争点を書いたチラシを「確認団体」は配布する事ができます。ところがマニフェストはA4サイズ両面で最高30万枚までと決められていて、1000万有権者の3パーセントにしかなりません。また確認団体チラシにも制限があり、こちらの能力の限界もあって有権者に配りきることはできませんでした。つまり、争点を巡る選挙として成立させる事にあまり成功しなかったわけです。我々の敗北の最も大きな原因はそれだと思います。しかしそれでも前回に比して2倍の得票をあげられたのは、前回よりも我々の主張が浸透したからであると言っていいでしょう。それを可能にしたのは勝手連の行動力によるものでした。勝手連の皆さんは誇っていいと思います。 (4)積極的に「思い込む」事のたいせつさ 「浅野氏が断然優れている! 浅野がいちばんである!」これは多くの浅野勝手連の人々が口々に述べてきたことばです。これはただの思いこみ=心理学的な「合理化機制」だったのでしょうか? 酸っぱいレモンを「甘い」と無理に思い込んでいただけなのでしょうか? では吉田氏の方が断固とした政策的方向性をもっていたのに、浅野氏が石原との対決姿勢を深めていったのはなぜでしょう? それは勝手連の「思いこみ」によるのではないでしょうか。選挙において一旦支持すると決めたら、その人を徹底的に信じる事です。「浅野レモンは甘い!」と信じる事が大切です。それが浅野氏を動かしました。勿論、浅野氏が柔軟性に優れていた事も重要な要素です。こうしてレモンがどんどん甘くなっていったのです。客観的評論家は選挙の後になって、浅野氏の資質が敗因だと言うかも知れません。しかし我々はそんな事は絶対に思いません。我々は浅野氏と共に闘い、そして共に破れました。敗北は我々の責任です。 (5)我々は「目的意識」を持って介入した! しかし、破れた私たちは「信じて闘った」からこそ得たものがありました。それは9日に私が述べたとおりです。つまり「自分が声を挙げた」事によって他からも次々とあがる声を聴き、自分が孤立してはいなかったのだと確認できた事です。またそうした「声を挙げた」者たち同士が横に結びつき、連帯のネットワークを築けた事です。また私たちの闘いの成果が前回に比して格段の前進を遂げたことを、得票数によって確かめられた事です。これらの成果は私たちが「目的をもって行動した」から獲得できたのです。これは私たちが「信じて行動した」成果です。「信じて行動した」からこそ、敗北に泣いたのです。「信じて行動した」からこそ、その成果を見つけ、次の希望に向かって進んでいける確信を掴むことができたのです。こうした成果は「評論家」諸氏には共有できないものです。 (6)確信しましょう!兆しが見えてきたと! 私たちは「誰がいいかを選ぶ」客観的立場ではなく「石原都政打倒」を掲げて積極的に行動したのです。お店に例えれば、お客として買い物に来たのではなく、お店の店員として積極的に販売することを通じて、大型スーパーに対抗したようなものです。浅野氏に不満を見つけ、行動に参加せず評論家の立場に留まる人には「客観的事実」は見えるかも知れません。しかし行動者の立場にいる者が評論家と決定的にちがうのは、「誰か理想的な人が知事に立候補するのを待つ」のではなく、「我々が都政を変える」という意志を持ち、「我々の意志に応えてくれる人に知事になってもらう」という立場なのだという事です。前者は「都政は知事が行う」という従属的立場、後者は「我々が創る」という行動者の立場です。民衆がそのように行動者に転化していかなくては都政は変えられません。確信しましょう!その兆しが見えてきた事を! ※余談ですが・・・・僕は最後の日、新宿東口でビラ撒きしてました。その時のかけ声は「アサノはいかがですか?」「いまアサノが大変お得になっております」「アサノなんかどうですか?」「今アサノがオススメです」と言い続けてた。(o^^o) 「お店の店員として積極的に販売」を地でいってたなぁ。 |