浅野選挙総括<3> 投稿者:まっぺん 投稿日:4月19日(木)16時33分12秒
(1)市民派選挙ではなかった?

安曇信太郎氏のブログに今回の浅野選挙についての評論が書かれています。そこでは、浅野選挙が「市民ではなくて特殊な市民団体」による選挙とされており、安曇氏は「市民に見せかけた組織選挙」との疑いを持っているようです。「市民」であるためには「何もしていない人」でなければならない、という意識がそこにあるようです。またその総括として「見せ方の失敗(リーダーシップを感じられない演出が裏目に)」とか「浅野史郎というキャラクターを東京ブランドに仕立て上げる事ができなかった」といったまとめかたとなっています。そこに見られるように、安曇氏はこの選挙を「浅野VS石原」の「ブランド」合戦、リーダーシップ合戦と理解しているのが分かります。しかしそのレベルでとらえていては、この選挙の「ほんとうの対決軸」を見逃してしまうことになるでしょう。
http://www.janjanblog.jp/user/vjt/azumi/9741.html

(2)「特殊な市民団体」って何?

「市民ではなくて特殊な市民団体」って、一体どんな「特殊な団体」の事でしょうか? 「××の会」と言ったからといって、それが「団体」とは限りません。「何かの活動をしている」と紹介しているだけにすぎないかも知れません。また浅野氏を担ぎ出した人々の多くは、選挙の時にはひとりで「勝手連」を名乗るなどの例が多かった事を安曇氏は見逃しています。今回の選挙では、初めて参加した市民も多く、それらの市民同士、素朴な疑問や提案などの意見交換をしながらの選挙でした。私は選挙期間中、膨大なメールを読む日々がつづきましたが、こうしたメールを読んでいけば、今回の勝手連選挙が安曇氏の想像するような「団体の組織選挙」というより、ひとりひとりの自立した市民の力による方が圧倒的であった事が分かるでしょう。その市民の力が及ばなかったのが敗因であるわけですが。

(3)「市民」と近代市民社会

本来「市民」とは、自治意識を持った「自立した人々」の事です。自分が一成員として所属する社会に、ただ従属するのではなく「市民社会の主体」として自覚し、責任と義務を果たそうと行動する能動的な人々の意味です。だから、自分が所属する社会を「自分の問題」と考える意識が希薄で、定期的にやってくる選挙で適当に誰かに投票するだけの受動的な立場にある人々は「庶民」ではあっても、言葉の本来の意味では「市民」とは言えません。それは例えば戦前の天皇制社会やそれ以前の封建時代の、為政者に従属していた庶民と、意識の上ではそれほど変わらない事になるでしょう。また「行動する市民」であるからこそ、何かの「会」を作ったり参加したりするのは、あって当然の事です。例えば浅野選挙推進に大きな役割を果たした「東京。をプロデュース2007」を立ち上げたのは、都立高の保護者の集まりでした。

(4)政治をあきらめるな!

日本がこんなに暮らしにくくなっているのに政権交代もなく安定しているのは、多くの人が「満足しているから」ではありません。「政治をあきらめている」からです。自分が何かを求めて行動を起こしても、どうせ無駄。政治は「強力なリーダーシップ」を持つ「プロの政治屋」に任せておこう…今の日本はそういう意識に支配されて「市民の権利」の行使を止めてしまった人たちの「従属社会」になっているのではないでしょうか。これは為政者にとって大変都合がいい社会です。いっそ投票もやめて家で寝ていてくれたらもっと都合がいい。浅野選挙はこうした為政者側からの従属の要求に対して風穴を空けようとする闘いでもありました。「政治をあきらめるな」と浅野氏は言いました。この選挙は、市民が「市民の自治を取り戻す」ための闘いでもあったのです。

(5)流れを変えるのは市民

だからこの選挙の対決軸は「浅野対石原」の「ブランド対決」ではなく、市民にあきらめさせようとする「ブランド主義」と、「あきらめない市民」との対決にあったのです。だから我々は、得票数の増大だけではなく、「あきらめない市民を多数生み出した」という意味でも大きな収穫を得る事ができました。われわれ自身が「みずから市民として自覚した」のです。このような市民の自覚は、前回の樋口さん応援団の時と比較しても格段の拡がりを見せました。市民の力をもっと発揮していきましょう。定期的にやって来る選挙だけが「政治」ではありません。我々が「なぜ立ち上がったか」を考えるなら、石原が推進しようとしている悪政に立ち向かっていく事が、「政治をあきらめない」我々の今後の課題となると思います。今後4年間も石原にやりたい放題にさせておくおくわけにはいきません。

(6)反石原の闘いを続けよう

石原は選挙の期間中に中学生までの医療費の無料化を宣言しました。選挙に勝ってしまえばこの約束は反故にされるかも知れません。それを許さず必ず実行するように要求・監視していきましょう。またオリンピック誘致をやめ、その予算を福祉に回すように要求していきましょう。築地の人々といっしょに築地市場移転に反対しましょう。外国人を敵視したり「愛国心」を強要する事をやめさせましょう。老人、母子家庭、マイノリティーなど弱者や、社会の底辺であえぐ人々への実効力のある救済措置を要求していきましょう。