味方の思想的基盤 投稿者:トチロー 投稿日:2007年5月13日(日)12時47分
 みなさんの御紹介される論文では、やはり三浦さんのものが具体的な指摘に感じました。

【思考の親和性】

 大多数の国民は、確かに「市民」ではなく「国民」となることで政治的世界の足掛かりを持つことができる。この政治的世界は、そのまま日常の価値判断に連続していて、自らの狭い生活意識のなかでの、安全な個人的利益を求める正当性を補完している。

 例えば、風俗が好きで不倫が好きな人は、自分の家庭には貞淑な妻なり夫なりを求めていて、「世の中、多少の不合理はつきものだ」とうそぶいて、この矛盾には平然としている。このとき、「世の中の不合理の正当性」は、そのまま保守・右派の政治思想と直結している。

 自分の給料が安定するように、下請けを叩き、市場独占をしようとするとき、それは善であり、「多少の犠牲はやむをえない」という強い人間を演出する必要にかられる。このとき、石原都知事の横着には意気通じるものがある。

【保守の論理の特徴】

 こういう思考の連鎖では、保守派が最も強力なのでしょう。
 石原が政治的な虚無に成り立っているとするなら、それこそ、無意識に一般大衆に歓迎される素因を持っているわけだし、昨今のくだらないテレビが歓迎されているのも、「人間的に面白みのある人物に対して好意的となる」という点で共通しているし、また石原が「テレビはくだらない」と発言すれば、くだらないと思っている大衆の心を鷲掴みにする。
 そのような局地限定戦において、保守派・石原は圧倒的に強い。

「学校で国歌をみんなで歌おうというときに、自分だけ歌わないような教師は、そもそも教師ではない。アメリカをみてごらんなさい。みんな起立するでしょ」
 このような単純で表面的な話には、何の間違いもない。ごもっともな主張。

 保守や右派は、このようなイデオロギーの操作が楽。石原が虚無であるなら、内心はどうだっていいから、バンバンやれる。これは強い。
 左翼には、これができないのだと思う。

【都知事戦敗戦】

 反石原陣営は、支配階級の佐々が言うように、何をどう変えるのかを、明確に認識できなかったし、それが訴求されなかったのも当然なのでしょう。

 しかし、勝手連が筍のごとく生起したことは驚異的であって、多くの勝手連が反石原の幟をあげたのは、いったい何故なのだろうかと、分析してほしいと思う。

 勝手連は、具体的に、何に危機感を感じて、反石原を唱えたのか?
 勝手連は、はたして、所詮は左翼の市民だけだったのだろうか?
 つまりは、なんとか左翼が合流できたということにすぎないのだろうか?
(共産党も反石原には違いない)

【そもそもの問題】

 選挙は、助け合いの精神で成り立っている。助け合いというのは、利益誘導のことである。《投票してくれ》−《投票するから、金よこせ》構造である。
 つまり、一般に、有権者が依頼する就職の斡旋や交通事故のもみ消し、企業が依頼する仕事への便宜が、共産党以外の票に結びついている。

 左翼からみれば、このような状態の選挙は、もともとおかしいのである。有権者は、公的な政治を私的に利用しているからである。

 この保守派の固定票の内実が、そのまま石原都知事の票となっている。利己的な目先の利益を重視する考え方である。
 そして、上述の意気投合の親和性は、これらの固定票を補強しているし、親和性のために、浮動票が大量に流れている。
 この現実を打破するには、政治そのものを、投票行為に直結させて具体的に考え直す必要があるように思う。左翼がアピールすべきは、この地点なのではないだろうか。君は自分のことだけを考えて生きるのか? と。

 僕らは、どうしてもこの視界を変える必要がある。そうしないと、アメリカと一緒に戦争をするための憲法に改正される。
 もとより、憲法と自衛隊の存在は相反するのであり、僕は徴兵制にも改憲にも賛成なのだが、そんな正論を言ってはいられない。現実は単なる国防ではなく、アメリカ中心の利益獲得のために戦争をするのだから。