今後の展望に向けて(戦略的視点の獲得のために) 投稿者:まっぺん 投稿日:2007年5月28日(月)
(1)なぜ負けたのか

 我々の選挙は「市民が自ら候補を立てて闘った」選挙であった。そして、4年前に樋口敬子さんへの投票を呼び掛けて闘った時よりも、我々は確かに前進した。それは間違いない。二つの意味でそう言えるだろう。第一に、市民が主体となって作られたネットワークが「財産」として残った事である。第二には前回の二倍の得票を獲得できたことである。しかし、それにもかかわらず、深刻な総括をしなくてはならない。我々は石原派との「争点」において勝てる展望を持っていたのだろうか? 残念ながらそれについては悲観的と言わざるを得ない。いま振り返ってみると、われわれの選挙は「勝てる選挙」ではなかったのではないか。同種の批判はすでにいくつか上がっている。我々はそれを率直に受け入れ、考え、「次には勝つ」ための戦略を練らなければならないと考える。

●佐々淳行の総括

 敵側の選対委員長であった佐々淳行は雑誌『諸君!』において、今回の「石原対反石原」の対立軸を「『日米安保賛成』対『反対』、『改憲派』対『護憲派』、『日の丸・君が代賛成』対『反対』、『国民』対『市民』、 『安心安全』対『福祉』、『トップダウン』対『ボトムアップ』、『タカ派』対『ハト派』等々」…と捉えている。佐々の指摘は我々とちょうど真反対から争点を捉えていて的確である。しかし、それは「争点」ではあっても、その争点において「どちらに投票すべきか」の都民の判断の根拠を分析した事にはならない。我々に提示されている課題は「なぜ都民は後者を選択しなかったのか」である。提示されたそれらの争点において我々は本当に闘えたのだろうか? またそれらの争点を本当に都民の前に提示し得たのだろうか?

●三浦小太郎氏の総括

 同じ視点からさらに踏み込んで提示しているのが三浦小太郎氏である。都民の多数派は、弱者(あるいは負け組)=マイノリティの立場に立とうとする浅野氏に対して、強者(勝ち組)=マジョリティの立場から石原を選択した。これは必ずしも「自分の立場」とは限らない。「弱者」でありながら「強者」の立場を選択した者も多い、と三浦氏は指摘する。少数派の立場に立とうとする立場はマジョリティからみれば「他人事」であり、「偽善」に通じる。都民の多数派は、それよりも石原の中に見る「エゴイズム」を、むしろ人間的本音ととらえ、「自分の立場」として選択したのである、というのが三浦氏の見方である。

(2)歴史的総括

●不況と野蛮の1930年代

今日の経済状況と、それに対する国家の指導者たちの対応の仕方の中に、70年前の日本との共通点を見出す事ができる。日本経済が一人勝ち状態だった80年代の70年前は第一次世界大戦期であった。戦場とならなかった日本は他の諸国からのシェア獲得と軍需物資生産とで好景気の中にあった。しかし、その時期に生まれた多数の企業は、数年間の短い戦争バブルが過ぎると次々と倒産し、それは日本経済全体を包み込む大型金融倒産へと発展した。そこに関東大震災が追い打ちをかけ、日本経済は永い停滞時期に入ったのである。そしてそのまま、「金の解禁」という最悪のタイミングで世界恐慌を迎える事になった。この国内的危機は、不況にあえぐ国民に対外侵略を煽る口実となった。「危機の打開」を口実として大陸への軍事侵略が開始されるのである。

●再び「野蛮」の時代へ!

 今日の経済の流れはどうだろうか。80年代、世界経済の低迷の中で唯一、日本だけが好景気を享受していた。だぶついた資金は土地価格の上昇をもたらしたが。90年代に入るや土地バブルの崩壊を起こし、日本は戦後未曾有の景気停滞期にはいった。株価を経済指標とした当時の日本の経済的価値は、僅か10年で10分の1以下に転落したのである。アメリカがITバブル期に入った後も日本経済は低迷を続けた。レーガノミクス・サッチャリズムを受けた民営化と新自由主義政策は、不況の打開策として2000年の世界同時不況以降ますます強化・拡大され続けている。もちろん70年前の日本の経験をそのまま敷衍し、今後の日本が70年前と同じ軍事侵略をするわけではないが、経済的「本質」において日本は70年前と同じ道を進みつつある。経済競争の激化を通して国内・国外の庶民を食い物にする道である。

●保守と革新の概念の逆転

 一般に「保守」とは自民党に代表される資本家の政党のことであり、「革新」とは社共の事であると考えられてきた。しかし70年前は逆であった。「満蒙は日本の生命線」のスローガンで国民を扇動していった軍部右派は「革新派」であり、自ら「昭和維新革命」と豪語した。これに反対するリベラル派は「保守」だったのである。戦後の55年体制の中で使われた「保守」「革新」の概念は、今また逆転し始めている。 安倍は、とりわけイデオロギー的に見て、アメリカのネオコンに匹敵する極右である。彼はそのイデオロギーのもとに「危機打開のための革新的政策」を推進しようとしている。これは、日本が経済的にも政治的にも、そして軍事的にも強者となって弱者を呑みこむ経済競争の強化である。日本のマジョリティは、安倍のこの路線を支持しているわけであるが、この路線を定着させたのは小泉・竹中の構造改革路線であった。

●彼らの戦略と我々の戦略

 世界経済がいまだに危機的状況にあり、これを好転させるための「戦略的構想」が必要である事を日本と世界の政治指導者たちは自覚している。その彼らの具体的政策が、今も続くグローバル資本主義路線であり、その下での民営化推進と二国間・多国間貿易協定の推進である。社会競争の奨励によって「強い企業」を作り出し、その力によって、「強い国家経済」を作り、その力で国民の生活を安定させよう…これが彼らの戦略的方針である。「攻め」の姿勢であり、その意味では「革新路線」である。これに対して我々は、彼らの政策がますます危機を拡大していくだけで解決にはならないと理解しているが、それに対抗する具体的経済戦略を打ち出す事ができていない。その意味で我々は、70年前に軍部右派にまけたリベラル保守の立場にあるのではないか。いま必要なのは「我々の政策」なのではないか。それ無しにマジョリティを獲得できないのではないだろうか。

(3)我々の戦略を立てよう

●もうひとつの革新派へ!

 グローバリゼーション推進政策が較差を拡大し、ますます弱者の数を増大させている事は統計的にも明らかである。彼らの「革新」政策は破綻の道を進んでいるのである。しかしそれにもかかわらず、彼らの政策が支持されているのは、それ以外の「対抗戦略」が見えていないからではないか。我々は、より具体的で説得力のある経済的対抗路線を持たなければならないのではないか。「争点」となるスローガンだけでなく、そのスローガンに「根拠」を与えなければならないのではないか。「もうひとつの世界はある」という宣伝で留まっていてはならない。「それはどんな世界か」を、「グローバリゼーションが世界を破壊してきた事実」と共に具体的に提示していかなければならないのではないか。我々には、「具体的な政策」が必要である。「革新右派」に対抗するためには「保守派」ではなく、「もうひとつの革新派」として危機に対処する政策の提示が必要なのではないか。

●なぜ石原は後退したのか

 石原に対して我々が負けた原因の第一はマジョリティーを説得できなかった事であり、彼らを説得できる経済的・社会的路線を提示できなかったからではないかと考えている。しかし、石原が前回から後退し、我々は負けたとはいえ二倍に飛躍した理由についても考えると、その理由のひとつは彼らの「右翼革新路線」の破綻が見えてきたことだと思う。石原が登場した8年前は、鈴木「バブル都政」の破綻を受けて誕生した青島知事がバブルの後始末を途中までやり、やりきらないまま辞めてしまったあとで、次の展望が見えていない時だった。そこに、「強力なリーダーシップ」を演出する右翼ポピュリストとして登場した石原は都民の期待を受けて都知事に当選した。しかし、その石原都政の破綻が2期8年を経て見えてきた事が、石原票を減らした原因なのではないか。それについての分析をもっと詳細にやる必要があるのではないか。

●二年後に向けて今から準備を!

 三選を果たした石原は2年後にやめるという観測がある。本当かどうかはまだわからない。しかし、石原がぶち揚げた「東京オリンピック誘致」の成否が決まるのは二年後である。誘致に失敗すれば、引責辞任するというのは頷ける。また誘致に成功しても2016年の事であり、「誘致成功」を見届けて引退するのが「石原美学だ」という説にも頷けるものがある。だとすれば、今から再度「市民派都知事候補擁立」に向けて準備するべきではないのだろうか。仮にそのような観測がまったく外れたとしても、それは決して無駄にはならない。なぜなら、石原の路線は安倍の路線と同じものであり、都政における石原の路線と国政における安倍の路線は連動しているからである。我々は「反石原」の闘いを「反安倍」の闘いと同じものとして考えてきた。二年後の「都知事選の可能性」に向けたたたかいは、そのまま安倍政権への闘いとなる。